バッドエンドは法律違反

ニートで暇だからディズニー映画を観漁っている。
もちろん面白いし、引き込まれるし、洗練されまくっているアニメーション作品だ。

絶対に最後はみんな幸せにハッピーエンドで終わってくれるところもディズニーさんの素晴らしいところだと思っていた

時期もあった。

昨日は白雪姫を見て、一昨日はノートルダムの鐘を見た。眠りの森の美女は1週間前くらいに見た全部面白かった。
でも物語の最後に違和感を感じてしまう。

ノートルダムの鐘ではエスメラルダは見た目が醜いカジモドを選ばず、イケメンマッチョのフィーバスと結ばれる。フィーバスもいいやつやけども。
ブスやからって


カジモドわい!!

白雪姫はやっぱり王子を選んで、7人の小人に別れを告げる。
小人と一緒に暮らすという選択肢はないんかい。あんな愉快に楽しそうにしてたやんか。

眠りの森の美女。
野獣の元の顔も男前なんはもうおかしいやろ。 
俺的にはただで本くれてんから本屋のおっちゃんと結婚してほしかったけどな。


何が言いたいかって結局可愛い子は、

イケメンとキスしたらもうなんでもありなんかよどついたろかほんま
もうええわ!!

 

不幸とは

昨日ネットフリックス契約しました。
永遠見れます。まじ面白いっす。

ハマってるのはスタンドアップコメディ。
ルイスCKとテイラートムリンソンが好きです。

僕が1番好きなルイスCKのジョークに「離婚」のジョークがあります。


彼は現在、離婚して5年だそうです。

彼は言います。

 

離婚ってまじサイコウ!
最高の日々を送ってる!
今が人生で1番いい時期だぜ!
離婚は最高の瞬間だった!
自由が手に入る!
なんせ離婚は永遠だ!
家庭は崩壊するが、離婚は崩壊しない。
離婚して「本当の幸せ」を見つけたよ!
「結婚」とは「離婚」という「人生最大の幸せ」を手に入れるための「過程」だったということが俺にはわかる。
元妻とは「友達」として最高の関係を築いてる。
子供は2人いるが父と母の家を行き来している。
どちらも最高の両親だ。
なぜだと思う?
毎週子供に「じゃあまたな!」って言えるからだ!
週の半分だけなのに、いい父親になれない人間がどこにいる?
どんなにムカついても毎週水曜日に追い出せるのさ!

 

この話を聞いて、僕は思いました。


結婚してみたい!

そして、離婚したい!!!

 


僕は結婚も離婚もしたことがないのでよくわからなかったんですが、彼の話から情熱が伝わってきました。きっといいものなんでしょう。


結婚とは「我慢」だそうです。結婚生活の中で、我慢すれば我慢するほど、あの「最高の瞬間」の幸福度が高まります。だからできるだけ我慢しましょう。お笑い芸人さんの下積み時代のようにです。最高の幸せを手に入れるためには多少の犠牲は付き物です。がんばりましょう。


1つだけ注意が必要です。「離婚」の快感は半端ないらしいので、中毒にならないように気を付けてください。コカイン、ヘロイン、リコンです。綺麗な花には刺があるのです。これは世の中の理。

既婚の方にはごめんなさい。文句を言うならルイスCKに直接言ってください。

 

しかし、ルイスCKはただただ離婚をお勧めしているだけでしょうか。僕はそうは思いません。


もし、誰かが離婚したら周りの人々はこう言うでしょう。

「あの人は不幸だ。」
「かわいそうだ。」

と。

「離婚」が不幸だと、誰が決めたんでしょうか。

神でしょうか。

違います。離婚を「不幸の象徴」にしているのは「離婚を不幸だと思う人」

「離婚を不幸だということにしたい人」です。
                  
自分の幸せの価値観を崩されたくないんです。

「自分は結婚していて、独身の人を見下してマウントを取っていたのに、独身の方に幸せなられたら、自分の幸せがブレてしまう。
じゃあ離婚を不幸なものにすればいいんだ。」

的なね。知らんけど。


不幸だと思うから不幸なのです。

S O S
そう思ったらそう

SOSの法則だと鴨頭さんが言っていました。

やばい話が逸れる。


これは離婚だけの話ではありません。

肌の色、目の色、マザコンファザコン、デブ、ハゲ、ガリ、チビ、低学歴。

これらがネガティブな事柄だという絶対的な理由なんてない。それは他人の物差しであり自ら作り出したものではない。


離婚して、幸せになる人も、不幸になる人も、

結婚して、不幸になる人も、幸せになる人もいます。

それは間違いなく人それぞれです。


そもそも因果関係が逆ではないでしょうか。

離婚したから、不幸になる。

結婚すれば幸せになれる。


のではなく、


不幸である理由を離婚に押しつけている。
幸せになる要素を結婚に依存している。
だと思いました。

 

そもそも、ただ生きているだけで幸せだと思うことができればそれで爽やかではないでしょうか。

カフェインの産物

本日2月2日。4日間ある大学入試2日目。
1日目の昨日は結果は置いといて、万全の体調で、全力を出し切ることができた。

でも全力を出せたからなのか、寝る前に金玉がびびるぐらい痒くなって、まじで寝れなくて、痒すぎて、一睡もできなかった。痒さと戦う徹夜。まじでなんやねんこれ。

大学入試史上初、金玉のせいでオールで挑んだ。まじで眠かった。1時間目はもうほぼ寝てた。
目閉じたら、すぐ夢の世界行ける状態で、あんな静かなところで80分も座らされたら、そら寝てまうよ。

1時間目が終わって、気づいた。カフェインだ!
僕は基本的にオールをした時、クラフトボスのカフェオレ一杯分のカフェインをぶち込めば、1日中眠気が飛んで、頭が冴えて、楽観的になる。興奮作用と眠気覚ましがバチバチに作用する体質なのだ。
本当にカフェインに耐性がなさすぎて、アルコールレベルで即効で効く。

今日はほんまに効きすぎて、クラフトボスってヤバイ薬物やった?と思うくらい目が覚めて、楽観的になっていた。

この頃ずっと自分を悲観していたのに、すべてにおいて、人生が大成功している自分の姿をまるでリアルのことかのようにイメージできた。

カフェインのおかげでここ最近モヤモヤしてた僕の将来の夢と、自分の理想像が決まった。

バレエダンサーとスタンドアップコメディアンと経営者と父親になること。あとできればウルトラマンメビウスにもなりたい。これは6歳からの夢。

この5つになってから死ぬ。全部成し遂げて、100歳までは絶対生きる。

バレエダンサーは7歳の時に決めてた。

スタンドアップコメディアンになりたいと思ったきっかけは、2つある。


そもそもキングコングさんに憧れて「お笑い」は絶対にやろうと思ったのはもう1年前だけど、スタンドアップコメディという形を見つけたのはごくごく最近。


きっかけの1つ目は、直近のすべらない話の霜降り明星粗品さんの「おとんのボケが弱い話。」

話の内容は、幼少期の頃から、よく家でボケる陽気なお父さんのボケが弱いかな?と若干思っていた粗品さんが、高校生になった頃にお父さんが1年の余命宣告を受けたらしい。そしてお父さんが粗品さんとお母さん。家族3人を集めて、家族会議を開いた。

「悲しんでも仕方ない。1年間家族水入らず、楽しい思い出を作ろう。また久しぶりにキャッチボールとかしようぜ」と。

その1ヶ月後にお父さんが亡くなられたらしい。。。

 


静まり返ったスタジオで粗品さんが声を荒げた。

 

 

おとんボケ強ない!???

 

 

1つの短い話を聞いて、笑わされて、号泣させられた。あの時のキングコングの動画みたいに感情を強く揺さぶられた。

「笑い」の素晴らしさと粗品さんの熱いメッセージが伝わってきた。本当に感銘を受けた。


ただただ「面白い」を追求する「笑い」もいいけど、本質的な真理とか、「メッセージ」を含んだ笑いってかっこいいなって。


これと似た体験があった気がした。

 

 

2つ目のきっかけ。 

ウーマンラッシュアワーさんの漫才だ。

「バイトリーダー」のネタしか見たことなかったんだけど、the MANZAI2020でこれまた衝撃を受けた。

やっぱり賛否両論あったようだけど、僕は2秒でファンになった。ほんとに圧巻だった。
まーーーー引き込まれてた。


「メッセージ」を感じた。
「誰かが言っていることに賛同するのか、否定するのか、、」

そうじゃない。

「自分がどう思うか」ということが大事なんだというメッセージだ。


あの時の感覚はあまり感じたことがなくて、

笑わされて、学ばされて、考えさせられた。

まじで

これやりたい!!!

まあ漫才でも何でも「メッセージ」を埋め込むことはどんな形でも可能と言われれば、そこまでだけど、村本さんのスタンドアップコメディを見て、スタンドアップコメディにどハマりした。そもそものスタンドアップコメディのコンセプトとして、「パフォーマンス」と「メッセージ」の整合性というものがあるっぽい。


まあちょっとかっこ悪い理由だけど、本場が海外とかアメリカっていうのがかっこええやんか。

 


あと経営者は小3の時に決めた。

 


父親になりたいについてはまた書こ。

 


眠たい。まじで眠たい。もっと書きたいことあるのに。


まあカフェインのおかげで前向きになれた。

ほんまに未来を想像して、ワクワクしたのが久しぶりや。 


誰よりも深く思考して、誰よりも多く試行する


考えて考えて、行動行動行動。

 


なりたいもの全部なってやる。

黒板アント

1年前、西野亮廣さんの「芸人」の定義を知った。
これが本当にほんとうにかっこいい。

芸人とは漫才、コントをして、雛壇に出て、面白いことを言ったり、面白い動きなどで人を笑わせることを生業とする「職業名」のことを指す。。


のではなく、


「時代が、みんなが右に行ってる時に反対方向に行
っちゃうやつ。」

こーゆー選択肢もあるよって言う
そういう人たちがとっている「姿勢」の名前を「芸人」と呼んでいる。つまり芸人とは職業名ではなく、゛生き方の総称゛である。
       (書籍やメディア諸々から引用。)

もっと西野亮廣風に言うと、

「ドキドキさせてくれる人」だと僕は解釈してる。


なんてカッコいいんだ。
もう1度言う。


なんてカッコいいんだ。


僕は「芸人」になることを心に決めた。

自分が芸人になった時の景色や、気持ちや、人生を思い描けば描くほど、未来への希望と喜びと幸せで世界が溢れた。


どうやったら「芸人」になれるんだろう。
生き方の総称という意味では「芸人になる」と決めたその瞬間から僕は「芸人」なのかもしれない。
 

でも今そんな感じはしないな。


なんか違うな。

 


幼少期からバラエティ番組を見た記憶がほとんどない。あまりテレビを見ることさえもなく見るとしてもドラマくらいだった。
そんな僕が唯一テレビの画面にかじりつくようにして見ていたバラエティが、「しゃかりき駐在さん」という関西ローカルの日曜笑劇場番組。
お笑いコンビ「キングコング」が主役で、カッコよくて面白くてとても人間らしい西野さんに憧れたし、「動き」でも「表情」でもあらゆるものを武器にして笑いを作ることができ、全ての人に愛される梶原さんも大好きだった。そして他の出演者も、何よりも番組自体の世界観がとてつもなく好きだった。僕もあの世界に入り込んで、あの世界で生きていたい。と本気で思っていた。小学4年生の時、たった1年で打ち切りになった時は膝から崩れ落ちた。 そこからは高校3年になった現在まで、バラエティを見た覚えはあまりない。いつしかあんなに好きだった駐在さんも僕の記憶から少しずつなくなっていた気がする。

 

 

 


幼稚園では人見知りで人とあまり喋らないが、誰かに見つけてかまってほしいのか、たった1人で何か悪さをしたり、とにかく目立とうとする

      ヘンテコなガキだった。


小学校ではなんのきっかけで人見知りが治ったのか、誰彼構わず話しかけて、興味の赴くままにしか行動せず、授業中に先生が求めてもいないのにひたすら手を上げて自分の思ったことを発言する、空気を読まない、周りからダサいダサいと言われても、こだわりとクセの強いメガネと帽子をつけ続ける、
      
       バカなガキだった。


中学校では急激に人の目が気になり出して「空気を読む」ということを覚えて、みんなと同じように振る舞い、授業中に手をあげることは恥ずかしいことだと知り、ダサい帽子とメガネを脱いで、

    普通の平凡なただの子供になった。


進路選択の時。

僕は仲の良い友達が多くて家から近くて学力的に入れそうという理由で高校を選んだ。

高校入試本番。友達と6人でワイワイドキドキしながら受けに行った。合格発表はその中の2人が緊張するからと言って抜けちゃって4人で行った。


合格発表の帰り道、僕は1人で帰った。

落ちたのではなくて4人の中で僕だけが受かった。

あの時の空気は2度と吸いたくない。心から喜びなんてなかったけど、自分だけ受かっておいて喜びがないなんて言おうもんなら嫌味ととられて関係が終わりかねないし、慰めるなんてもってのほか。上から物を言うなんてとてもじゃないけどできない。頭の中にある言葉を探して、捨てて、また探して、この沈黙の壁を破ることだけを思考し続けているうちに気づけば家に着いていた。

 

高校では小学校時代の人脈とコミュニケーションの貯金で学校生活をやり過ごした中学生活とは違い、
幼稚園の時のように、人に話しかけられなくなった。人に話しかけられたら緊張するようになったし、いわゆるスクールカーストでは下の方の、


 友達がいなくて特徴がない子供になっていた。


学園ドラマとかで見る「憧れの高校生活」に望みがないことを高校入学3日目で悟った。
そこからはひたすら学校生活に悲観し続けて毎日消えてしまいそうになりながら学校に行った。

本当に人生を悲観していた。

1度だけ偶然好きな人とテーマパークに行けたことだけを頼りに、これ以上下がると本当に危うい自己肯定感を保ち続けて毎日を過ごすうちに修学旅行の時期になった。

いつも通りの登校日だけで僕の精神は擦り切れかけているのに1週間も異国の地で自由を制限されて、生き抜いていく自信がどこにあるんだろうと思った。

もう、中学生になったあの時に「普通の子」に転身してから、かれこれ5年になるから「修学旅行休む」なんて「周りと違うこと」を言ったら両親や周りの人に指差されて、変なやつだと笑われるに違いない。悩み続けた。

もうあと20時間で日本を発たなければならない。やり残したことはあったかな。別れを告げるべき人はいるかな。遺言を書いておこうかな。なんて思っていたその時、体が重くなってだるくなって、頭が痛くなって、インフルエンザのような症状に襲われた。

気がした。
シンプルにそれくらい嫌だったから仮病を使って休んだ。という話。

修学旅行を休んだ人には登校日がある。みんなが旅行という名の「校外学習」をしているんだから自習をしなきゃいけないらしい。あからさまに暇そうに教卓にもたれ続ける自習監督の教師と、数人の僕と同じ修学旅行欠席者3人、僕を合わせて5人が日当たりが悪くて薄暗い空き教室でひたすら黙って机に向かって勉強しているフリをしてボーーっとする時間を過ごした。途方もないくらいの「退屈」を感じた。

そんな修学旅行中の1週間でふと父が一冊本を貸してくれた。「革命のファンファーレ」というビジネス書だ。
勿論、勉強自体は嫌いだし、国語の授業も嫌いだった僕は漫画以外の本なんて読んだことなかった。何百ページにわたって絵でも映像でもなく活字だけを刷り続けている物体なんて面白いわけがないと。


でも表紙を見ると、どこか見覚えのあるハンサムな男の人の写真だ。どこかで見たことあったかな。

まあ父から初めて勧められたビジネス書。仕方ないから少しだけでも読んでみるか。 

結果、2時間くらいで読み終えた。 

やっぱりあの西野さんだ。
あの時、テレビにかじりつくようにして見ていたあの世界の主人公だ。おまけに僕が憧れたあの世界は終わっていなかった。西野さんはあれからずっとワクワクする未来を人知れず作り続けていたんだ。

それからキングコングYouTubeチャンネルを見てみた。「梶原の変顔が1種類しかない疑惑を検証」という動画を見た。

人生で1番笑った。死ぬほど笑った。自分の部屋で、1人で、もう17歳になるガキが笑い転げた。そしてなんかわからないけど涙が出てきた。感情が揺れすぎて立っていられなくなった。
世界にはこんなに面白い人達がいるのになんで僕は人生を楽しんでないんだ。スクールカーストが下の方ってだけでなにを悲観しているんだ。悲観する暇があるなら面白くなる努力を少しでもすればいいのに。

 


思い返せば、僕は昔、「芸人」だったじゃないか。

誰かに気付いてもらおうと目立ったことをしたり、変な帽子を被ったり、ヘンテコでバカな、
    
     「ガキ」だったじゃないか


  普通の「子供」になった中学生のあの日、
     急に辞めてしまったけど


    僕は「芸人」をしたことがあった。

 

 

 


     それでもダメダメな僕だけど

 

 

 

 

 

 

 


        面白い人になる。

絶景を探している

決選に残ったのは僕を含めて4人。入賞として表彰台に上がれるのは3位からだった。予選を突破した時すごく嬉しかったけどこの4人の中で自分の実力が最下位なのは明白だった。でも明日、ミスなく実力以上に踊りきることができたら、、もしかしたら、、、という気持ちで胸がいっぱいだった。


やれることはやったはず。後は3位で自分の名前が呼ばれれば自分のこれからのプロフィールになる。頼む。僕の名前を読んでくれ。

呼ばれなかった。僕の横に並んだライバル3人が僕に背を向け、とても遠くの表彰台へ上がっていく。拙いナレーションが僕を嘲笑っているように思えた。あまり情熱とかを周りに出すタイプではないから悔しがるところを人に見られたくない。どうやって1人になろうか僕は必死で考え始めた。

しばらくすると僕の名前が呼ばれた。海外の学校から特別に奨学金が貰える賞だった。本当にまさか狙っている賞だったわけでもなく驚いたけど気づけばすごく偉いんだろうなーって感じの海外の先生と握手を交わしていた。

表彰台に登って僕が1人、客席に向かって挨拶をした時の景色が忘れられない。すごく美しかった。救われた気分だった。

あの景色をもう1度見たい。僕は今人生で1番努力してない人生を送ってる。有言実行の対義語みたいな人生を。確実に前に進んでいることが確認できるウォーキングを精神安定剤に使っているといつかここに書いたが、多分綺麗な景色が見たいのもあるんだと思う。この文章を書いている今も川を眺めている。自分でもわかっている。もちろん世界にはたくさんの「きれいな」場所がある。でも僕が求めているそれは客観的なきれいさではなくあくまでも主観的な「あの時の景色」だ。あの絶景は自分の人生が、努力が、行動が、生み出してくれるらしい。
もう18歳になってしまったけどまた努力すればあの景色が見れるのかな。

モンスターズインク

「モンスターズインク」


今回はピクサー作品です。皆さんご存知ですか?モンスターズインク。僕がこの作品を初めて観たのはたしか7才ーーー、か6才、だったかな。小学1年生の時でした。多分人生で1番観た回数の多い映像作品です。もうほんとに大好きです。監督のPete doctorさん、この世に生まれてきてくれてありがとうございます🙏

 


◎あらすじ


舞台はモンスターシティ。モンスターだけが暮らす世界です。彼らが生きていくために1番必要な資源。それは、、「人間の悲鳴」です。悲鳴を特殊な瓶(水筒?)に入れて保存しておきそれを放出すると電力になり電気が付き、街が機能しているのです。つまり、共通通貨が「恐怖」なわけです。
人間の悲鳴をどうやって、誰が調達するのか。
モンスターズインクという会社がその調達の役割を担っています。会社には人間界にループすることができる「ドア」が無数にあり、そのドアを使って社員(モンスターで脅かし屋)が子供の部屋へループし、脅かしてエネルギーを調達する。という仕組みです。
でもこのモンスターワールドでは人間(特に子供)は非常に恐れられています。なぜなら、モンスターは人間に触れると死んでしまうという言い伝えがあるからです。そんな危険な仕事をカッコ良くこなすモンスターズインクの社員達はみんなのヒーローです。


 幼少の頃、私フレドリクソンはこの映画に絶大な影響を受け常に母を驚かせることだけを考えておりました。

 


主人公はモンスターズインクでトップの成績を誇る2人組のマイクとサリーです。サリーが脅かし屋でマイクはサポート役でありパートナー。順風満帆な生活を送る2人ですが、、、やはり!物語には登場しがち嫉妬に狂う2番手、ランドール君です。こいつがとりあえず性格悪いです。ランドールがきっかけでマイクとサリーの日常が破茶滅茶に、、、


今の時点では僕の好きな映画ランキング1位がこのモンスターズインクなので本当におすすめしていて、ネタバレになりそうなのであらすじはここまででやめておきますね。

 


とか言いつつも、ネタバレ発言します。
まあ、ギリギリセーフなぐらいのやつで。

 


この映画のプロットというか、結末というか、とりあえず僕が1番いいなと思った点は、世界の共通通貨が「恐怖」から「喜び(笑顔)」に変わっているところです。 (ほんとに詳しくは全部見て)
人が怖がれば怖がる程、泣けば泣くほど経済が潤うなんてある意味僕が知っている中では1番ホラーで怖いです。でも、人が笑えば笑うほど、幸せな人が増えるほど、経済が潤うなんて最高としか言いようがありません。これこそが全世界のエンターテイメントのあり方であり目標だと感じます。僕もそんな世界をつくりたいです。


フレドリクソンとしたことが、少し熱くなってしまいましたが、僕が見た映画の中で1番のおすすめです。
でも感動というよりはコメディでちょっとの小枝シーンがすごく笑えるので嫌なことがあった時の処方箋にもなると思います。是非見てみて下さい。


それではまた。フレドリクソンでした。

 

過去は信用できない

グダグダだらだらMy Lifeが始まってから人と関わったり話したりする機会が以前と比べて壊滅的に減ったんだけど、それによっての心情と思考の変化として気づいたことが2つある。1つ目は、やっぱり人は人と関わって会話をしないとダメだということ。自分1人でいる時間がずっと続くと思うと、死んだことないけど死ぬ前の後悔と同じような気持ちになる。会話は価値観の共有。自分の視野と世界を広げてくれる。それによって人生が豊かになると思うし1つのしあわせの形でもあると思う。なんか抽象的な胡散臭い宗教本みたいなこと言ってるな僕。

2つ目はやたらと自分の人生で起こった出来事を振り返るようになった。昨日も書いたけど精神安定剤としてウォーキングをしてるけどその時なんかは特に。小学生のあの時あいつとあの子とあの公園でサッカーしてた時楽しかったなー。とか。舞台の本番当日の舞台袖の緊張感とかすごい好きだなー。とか。家族で行った海も穏やかで幸せだったなー。みたいな。そしてそれで思い出した旧友を誘って一緒にご飯に行ってみたりした。友達とご飯に行って話すのはやっぱり楽しかったけど、1人で歩きながら思い出していたあの時の気持ちとはどう考えても違うモノで、100%楽しむことができなかった。

当たり前の話だ。全く同じ時間なんてこの世に存在しない。そんなの映画の中の話。人は自分の現在を正当化するために過去を美化する。過去はものすごく美しいし幸せに思えるけど、1秒1秒全ての出来事やその当時の自分の思考を全く同じ状態で記憶できるほど人間は賢くない。言い換えるなら過去は「点」で現在は「線」。なるほど、見ている対象自体に大きな差異がある。「線」の上に乗っかっているもの全てに言い訳をして美しいと思ってしまうほど人間は馬鹿じゃない。でもこれが「点」だったら?「隣の芝生は青く見える」のだ。「今の自分」から「過去の自分」に対しても。

でも「過去」でさえ自分は不幸だったなんてニヒリズムみたいなことを言いたいわけじゃない。過去は無意識に脚色してしまうから今の気持ちを尊重してみてもいいのかなと思った。